名物かまどと和田邦坊
名物かまどへの功績

名物かまどへの功績

戦後、創業者である荒木三郎は、業績を順調に伸ばしておりましたが、自分に足らざる何かを求めて琴平の和田邦坊の門を叩くことにしました。何度か会ううちにお互い共鳴するものを見つけ、信頼関係を築きました。
和田邦坊は、包装紙、パッケージにとどまらず、広告に至るまで、今でいうCI(コーポレートアイデンティティ)を企業戦略として発展させていきました。
名物かまどが坂出から高松へ進出する足がかりとして、「かまど茶会」(高松市開催)を企画したのも和田邦坊でした。当時、扇風機の普及で地元丸亀の団扇の存続が危ぶまれる中、木版画の飾り団扇を土産にすることを提案、自ら絵を担当しました。その13年後、高松に店舗を開店し、基盤を築くこととなったのです。
40年余に亘り、名物かまどを指導し、名物かまどと共に歩んでいただいたその功績は計り知れず、末永く讃えております。

和田邦坊肖像

和田邦坊(わだくにぼう)の経歴

(1899-1992)
明治32年 香川県琴平町生まれ、幼少期を琴平で過ごす
大正6年 東京の洋画研究所に学び、雑誌社(プラトン社)に勤務
大正15年 東京日々新聞社(現・毎日新聞社)に入社
記者、事漫画の草分けとして活躍
昭和11年 ユーモア小説「うちの女房にゃヒゲがある」執筆
古川緑波の同名ヒット曲で知られる
昭和13年 郷里、香川に帰る
昭和16年 香川県立農事講習所勤務
昭和26年 第一回かまど茶会開催。木版画うちわ制作
昭和29年 香川県商工奨励館に勤務
デザイン研究と民芸品の発掘、普及、伝承に努め地場産業の木工、染物、菓子業の育成をはじめ、包装紙、店舗等のデザインを指導。
「丸亀団扇」に「飾り団扇」の新局面を見いだす
昭和39年 香川県文化功労者
昭和40年 讃岐民芸館の初代館長に就任
昭和41年 四国新聞文化賞受賞
昭和57年 日本パッケージデザイン協会特別賞受賞
昭和58年 地域文化功労者として文部大臣表彰受賞
平成4年 永眠、享年93才